2019/02/28

都電荒川線 花電車

1978年に運転された花電車です。
沿線での人気は凄いですね。
鉄道ファンと言うよりは、一般の方々が多い印象です。




この頃もテレビ朝日は元気だった。
特にアニメは思い出深い。





ムーミン!




続行運転。
パトカーもついて行く。

空が広いな。



1978年4月2日撮影

2019/02/27

大井川鉄道 井川線 関の沢橋梁


井川線 最大の見せ場 関の沢橋梁。
この迫力ある景色の中に鉄道路線が敷設されていることに驚きます。
小さな機関車も、一両でよくここまで登ってきました。
乗客の歓声が聞こえてくるようです。


1980年7月29日撮影

2019/02/26

大井川鉄道 井川線の風景

千頭駅前です。
今は どんな雰囲気になっているのでしょうか。





小さな機関車と客車たち。




 KATO WORKS !




お買い物帰りかな。
乗客が身を乗り出すのは、暑かったからだと思います。
 



終着 井川駅
山深いです。

この機関車、後ろの客車と同じくらいの背丈。
とても小さいんです。
でも、とてもカッコいい機関車でした。




大井川鉄道」井川線
1980年7月28日、29日

2019/02/25

大井川鉄道 井川線の険しさ

とても険しい路線です。
乗車していても分かりますが、こうして見ると その激しさに圧倒されます。
撮影しているこちら側、林道が整備されているとは言うものの、途中怖い場所もありました。
怖いといえば、カメラをセットしてスタンバイしているとスズメバチがぶんぶん飛んできて、それもとても怖かった。
そんなこんなを差し引いても、井川線は魅力あふれる路線なのです。


大井川鉄道 井川線
1980年7月29日撮影

2019/02/24

吾妻線のEF12を見に行った

この日、急にEF12が見たくなって吾妻線へ出かけました。
5万分の1の地形図は用意していたものの、撮影地はまったく知らなかったので、車窓を眺めながらの当日ロケハン。
この場所でやって来たのはEF12の1号機でした。





祖母島~小野上かな。
鉄橋を渡るジョイント音に心躍る気持ち。
7月なので相当暑かったはず。
ダイヤも何も分からないまま、よく行ったと思うと同時に、行っててよかったと思います。

しかし、機動力あったなぁ。。。



そして・・・



165系もやってきました。
連結しているグリーン車、窓の下に帯が!
グリーン車の証ですね。
お客さん、随分乗っていました。
夏休みだからかな。



吾妻線
1980年7月23日撮影


2019/02/23

金谷でEH10とSLを見た

約40年前の話です。

早朝 東京駅を出て西へ向かいました。
岳南鉄道の赤い電車や身延線のクモハユニを眺めながら金谷駅へ到着。
大井川鉄道のSL列車へ乗車しようと待っていると、EF58の荷物列車、EF65の貨物列車が通過。
楽しい気持ちでいたら、いきなり黒い物体が!
「マンモス」と言われたEH10です。
車体2両を連結し、動輪が実に8個。
凄い迫力!
体が震えました。
黒の車体に黄色の帯が何とも強そうで。

この頃の東海道線はおもしろかったですね。
ほんのちょっとの待ち時間で、これだけ楽しめるとは。

その後はSL列車に乗って千頭まで。
そして井川線へと続きます。
メインの目的のほか、道中も随分楽しめる時代でした。


1980年7月28日撮影

2019/02/22

尾小屋鉄道 さよならの季節

1977年3月19日の運行をもって廃線となった尾小屋鉄道です。
 「さよなら」の飾りつけがなされていました。

倉谷口




夕暮れの金平駅。





連結。




出発します~




乗車して帰路に着きます。





新小松駅
名残惜しい・・・


東京から北陸は比較的行きやすかったと思います。
周遊券と夜行列車があったから。
だから、他の季節も来ておくんだったな・・・と。


フィルムはカラーネガ。
退色が激しいです。
もっと早くデジタル化しておくんだったな・・・と。


だったな・・・と。
思うことが、多いな・・・と。



1977年3月10日~12日撮影

2019/02/21

国鉄時代の四国へ ⑤

朝の貨物列車。
貨車は何両繋がっていたのかな。




交換待ち。




やって来たのはDF50。




特急列車も来て・・・ 




普通列車もやってきました。
活気ありますね~



そして、去っていくDF50。
数々の列車を見送って、なごり惜しい気持ちで四国を後にしたのでした。


土讃本線 吾桑
1982年1月6日撮影

①~⑤ 完

2019/02/20

国鉄時代の四国へ ④ 高松運転所の夜

高松運転所を見学しました。










夕暮れ。
車内に明かりが灯る。




出発間近。 









ヘッドライトの軌跡。

「撮影の後、職員用の食堂で夕食を食べたね」と同行した友人が先日言っていましたが、全く覚えていませんでした。



高松運転所
1982年1月5日撮影

2019/02/19

国鉄時代の四国へ ③

お世話になっている気動車。




こちらは特急列車。
駅職員の凛々しい姿。




反対方向からやって来た。




 出発!




 DF50との顔合わせ。
日常の光景でした。


多度津
1982年1月5日撮影

2019/02/18

国鉄時代の四国へ ②

多度津へやって来ました。
DF50が見たかったんです。
やっと会えました。




入替作業。
思わず見入ってしまいます。




重連です。




右は1号機。














貨物列車が元気な時代。
機関車は大活躍でした。
DF50も!


多度津
1982年1月5日撮影



2019/02/17

国鉄時代の四国へ ①

東京を出て あちこち寄り道した後、宇高連絡線で高松に着きました。
夜です。
出迎えてくれたのは、ずらりと並んだ気動車たち。
はやる気持ちを抑えつつ、三脚にカメラをセットし段階露光。
何とか撮れた一枚です。
バルブ撮影だったので、ホームに居た人が大きくぶれて写ってしまいました。




 凛々しい お姿。




特急も良いですが、急行車両のボックスシートは捨てがたい。
御馴染みの、一番お世話になっている(であろう)車両です。





子供がホームではしゃいでいます。
ワクワクドキドキしているのでしょう。
こちらも同じ気分です。
これから始まる四国の旅!


高松駅
1982年1月4日撮影

2019/02/16

東武鉄道 熊谷線 ②

熊谷駅。
上越新幹線の工事が進んでいます。
その大規模工事の横に熊谷線と秩父鉄道の車両がいます。




もうすぐ出発します。





手書きです。





走行シーンを一枚。
大手私鉄の路線とは思えない雰囲気を楽しんだ 夏の午後でした。



1981年8月10日撮影